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世界旅行記 11 横浜→下関→東シナ海(船)→蘇州(中国)→南京→西安
2009-06-20 Sat 22:30
前回すでに上海には行ったので、今回は違う船で違う場所に行きたいと思い、下関から蘇州までの船に乗ることにした。横浜から深夜バスに乗って広島まで行き、そこから電車で下関まで行った。山陽本線は窓から延々と海の景色が続いていて、旅情があった。


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「前回行ったところまで飛行機で行けばいいじゃん」とよく言われたけど、そういうわけにはいかない。俺にとって「楽しむ」ことはもちろんとても大事なことだけど、別にそれが第一優先なわけじゃない。むしろ「楽しむ」ことは目的の30%くらいで、40%が「学ぶ」こと、残りの30%が「挑戦」みたいな感じなので、例えば登山で途中事故ったとして、リベンジのときに途中までヘリコプターで飛んでそこから再開、というようなふざけた真似は、するわけにはいかなかった。


以下、蘇州


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南京


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麗江の病院で隣のベッドだったおっさんと政治や歴史について話してるとき、やっぱり南京の話になって(中国人と歴史の話をすると大体この話になる)「とりあえず自分の目で見て来い」と言われた。それ以来気になってた侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館に行ってきた。大日本帝国軍が南京で犯した虐殺についての博物館。


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感想。これを否定している人っていうのは一体なんなんだろう?

そりゃある程度大げさにはしてるだろうし、特に虐殺の数については疑わしいところだけど、その他大体のことは合ってると思う。

別に殺人の数を競うあうのは古来よりどんな時代、どんな地域でも戦時になればされてたことなわけで、日本の戦国時代だって戦いではたくさん殺したやつが出世する時代だった。略奪、放火、殺人、強姦も戦争中なら、珍しくなかったはず。

そして平和な現代でさえこんなに中国人差別がはびこっているっていうのに、戦時中に非人間的な扱いをしてたと言われても、なんの不思議もないように感じる。実際、白人の黒人差別を悪いと思ってて、自分を平和主義者だと思ってる人でさえ、中国人差別は別物だと思ってるような節がある。多分そういう人たちは別物だとも思ってなくて、無意識というか当然のように感じているんだろう。マスコミの影響もかなり大きいと思う。

基本的に人間には自己批判をなるべく避ける性質がある。自己批判は苦しみを伴うから。自分や自分の所属する集団を批判されると嫌な思いがして、反射的に否定する。でも「必要な」自己批判ができないと真実に到達できないし、反省もできない。だから成長できない。

しかも一部の右翼の過激派とかをイメージすると分かりやすいと思うけど、自己批判を嫌う人間の中にはただただ「強気」であることを好む人たちがいて、それを美徳のようにしている場合がある。そして自分たちの非を強気で隠し、強気でない人たちに対してそれを強制する。そういう傾向は昔の軍国主義の発生の、一つの要因でもあったように思う。

別にだからといって今更もっと反省して謝罪を形にするべきだとか、そういうことを言うつもりは一切ない。一応公的に決着がついてる問題だから。でも結局俺の意見は、「日本人がそんなヒドイことをするはずがない」だとか「中国人に過ちを指摘されるのは嫌だ」的な、無意識からくる反射的な自己批判の回避は、やめたほうがいいんじゃないか?ということ。事実は事実と認め、そこから得られるものは得たうえで、相手に対しては堂々と強気に対応すればいいのだと思う。

(ちなみにどこの業界でも自分で食い扶持を稼いでる人間は大なり小なりそうだとおもうけど、特に金融の世界では、「必要な自己批判」の回避と事実への言い訳は、早晩破滅することになる。)

そして何より重要なことは、中華世界はとてつもなく広く、13億人もの人間が住んでるということ。「日本で食物の偽装事件が何件かあれば、中国ではその13倍あったとてもおかしくない」というのはあまりにも単純すぎる理屈だとしても、あながち完全な間違いでもないと思う。そして一部の報道や一部の悪人を取り上げて中国や中国人を判断するのはとても危険で、愚かなことであると思う。

確かに中国人の中には信じられないほどうるさい人や、粗暴な人もいる。俺もあまり好きじゃないところはたくさんある。国と国の関係で見ても、相容れない部分はたくさんある。けれども中国のあそこが嫌だとか許せないとか差ばっかみて区別するんじゃなくて、世界のほかの地域と比べてどれだけ俺らが似た文化、容姿、言葉を共有しているのかを感じて、理解を深めるほうがどれだけお互いの利益になるかと思う。それを綺麗ごとだという人にとってでさえ、経済を考えれば中国との協力抜きには将来の展望もない。安易な敵がい心に操られるのは簡単だけど、結局難しい方向にこそ明るい展望があるように思う。もちろん主張するべきは主張し、引かないところは断固として引かないという態度は必要なのだけれど。

自己と相手に対する前向きな理解と、その上に立つ、堂々とした態度が必要なのではないかと思う。



以下、西安。秦の始皇帝、兵馬俑。


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やっぱ都会はそこまでじゃない。かなりテキパキ動いてたので充実はしてたけど。

次は敦煌。初めての砂漠なので楽しみだ。

また。





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世界旅行記 12 敦煌→ウルムチ
2009-07-05 Sun 18:57
朝、寝台列車のベッドで目覚めると、地平線まで見える草原がずっと流れていた。

都会から出て、ついに西安からのシルクロードに入ったのだと感じた。

寝転んだまま、音楽を聴いたりしながら景色を眺め続けていた。

起きて何もせずにただただ壮大な景色を眺めていられるのは、寝台列車ならではの贅沢だ。


携帯で株価を確かめてみる。

前日に仕込んでおいた株がいい具合に上がっていた。

すべてが順調だった。


敦煌に着いて宿を探していると、いきなり日本語で話しかけられた。

それが有名な敦煌料理店の隋さんだった。

隋さんからは面白い話をたくさん聞き、また世界で唯一ここでしかできないような体験もさせてもらった。

敦煌は町も適度な大きさで、人はそれまでの都会と違って温和だったし、何より隋さんのおかげで忘れられない思い出の場所になった。

鳴沙山はかなり印象強く、うわさに聞いていた砂漠の曲線は本当に美しかった。


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莫高窟は中が撮れなかったので外からだけ。でも俺の中ではいまいちだった。


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ネットカフェではみんなCSをやっていたので、俺も一回プレイしてみる。


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最後の日は一人で砂漠の山に登った。

久しぶりに自分が写った。


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人間は自分一人、360度砂漠と地平線の世界で沈む夕日は凄かった。


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敦厚からウルムチまでは事情によりバスを利用することにした。

久しぶりの中国の寝台バス。

前の席はムスリムの人で三人組だった。

バスが出発してしばらくすると、彼らに話しかけられた。でも言ってることが全然分からない。中国語と英語ではないことははっきりしてるが、何語なのか分からない。そこで中央アジアはロシア語圏だと聞いていたので、片言のロシア語で話してみる。

「ヤー イズ イポーニィ」

するとなんとか通じたらしく、「おまえはホントに日本人か?」とびっくりされた。ベトナムでもカンボジアでも中国でもどこの国でもそうだったけど、とにかく日本人には見えないらしい。現地人か現地人とどっかの国のハーフみたいだと会う人会う人に言われる。確かに日焼けしてあごひげを伸ばしてるので少しは変わったと思うけど。。。で、国籍不明の顔をしたなんだかガキっぽい変なやつがいるってことで、興味がわくらしい。よく話しかけられる。

しかもここらへんの人たちは遠慮がない。言葉が通じなくても少しも気にせず、とにかく色々質問してくる。結局話してるのはロシア語でもなく、ウイグル語かとも思ったが良く分からず、片言の英語とロシア語で話し続けていた。

しばらくするとバスが故障してストップした。エアコンも止まってあまりに暑かったので、外に出る。隣のベッドだった中国人の若者がタバコをくれた。ムスリムの人たちからは色々な果物をもらった。同じバスにアメリカ人と中国人の夫婦がいて、仲良くなった。

30分くらいした後でバスが直り、出発することになった。

自分のベッドに戻り、流れる景色を見ながらiPODのスイッチを入れた。

おそらく東京のOLじゃ耐えられないようなオンボロ寝台バス。

何気ないただの移動時間。。。


そこで静かだけど、強い高揚感を感じた。

旅でしか感じることのできない、最高のナチュラル・ハイ。

これまでにも何度かあった、自分が完全なる未知の状況に放り込まれた時に感じる、

「旅ヤバイ」

っていう瞬間の一つだった。



以下、ウルムチとカズクスタンのアルマトゥ行き国際バスの中。

天池は砂漠から一転して山の大自然だった。


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ウルムチはそれまでの中国とはかなり雰囲気が違い、中国語とアラブ語とロシア語と英語が入り混じる国際都市。中国なのに中国語がまったく通じない人もけっこういる。ちなみにウルムチまでのバスのなかで会ったムスリムの人は、アラブ語で話していたのだと後で気づいた。


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西へ!!!



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 飛行機なしの世界一周旅日記 
 
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